評論 第174回 2005年12月1日

反乱の火種は世界中に
不平等拡大の時代

フランスでは十一月、貧困層の激しい暴動が二週間続いた。アフリカ出身者を中心とする若者集団が全土で車に放火し、警官隊に投石した。ここ数十年間に世界各地で起きた暴動と似通っているが、フランス固有の事情もある。暴動は国家が力で鎮圧したが、完全に終わったとはいえない。

発端は単純だ。三人の若者が警官の検問に出くわした。郊外の荒廃した高層団地で世間から隔絶されて暮らす「有色」の若者には、警官の不審尋問は日常茶飯事だ。

彼らのほとんどは職がなく、教育もろくに受けておらず、就職し、暮らしを向上させる当てはなく、スポーツや文化活動にも無縁だ。しばしば理由もなく拘束され、親が引き取りに来るまで何時間も留め置かれる。だから彼らは逃げようとする。三人は塀を乗り越えて変電施設に入り込み、二人が感電死した。

この暴動は貧困、失業、警官の人種差別的行動への抵抗だ。大半がフランス国籍を持つのに、フランス人として扱ってもらえない。自分たちはこの国に住む権利があると思っているのに、文化的少数者としての存在を認めてもらえない。

政府の最大の関心事は鎮圧であり、それには成功した。首相と内相は与党の次期大統領候補の座を争う宿敵同士であり、強硬姿勢で互いに後れを取るわけにはいかなかった。

暴動の処方せん

貧困層が暴動を起こすたびに人々が驚くのは不思議な話だ。真に驚くべきなのは、暴動がこれほど少ないということだ。貧困と人種差別がもたらす鬱屈(うっくつ)に、目先ばかりか中期的に見てもお先真っ暗という状況が重なれば、そのまま暴動の処方せんだ。彼らが思いとどまるとすれば弾圧が怖いからであり、だからこそ暴動はただちに弾圧される。しかし弾圧で怒りを雲散霧消させることはできない。

フランスの暴徒と似た、貧しく、職がなく、社会から無視され「よそ者」のレッテルを張られ、それゆえに怒りを抱いた人々が世界中の大都市圏にあふれている。彼らはもし若ければ、暴動を起こすエネルギーを持つ。快適な生活を営む多数派住民は彼らのことを無法者と思い込み、社会からはもとより、国からも全面的に追放するといった強硬措置を支持しがちだ。

北米や欧州諸国、多くの発展途上国で見られる状況がフランスでは極端な形で現れたともいえる。フランスにとっての問題は、自国にも同じ問題があるということを多くの国民が長い間否定してきたことだ。

均質化の夢

完全に同化する意思さえあれば誰でもフランス人になれるのだから、フランスに差別は存在しないと、多くのフランス人は考えてきた。現実にはフランスはいつだって移民の国だった。フランス革命前も十九世紀前半も、フランス語を話せない人々が移住してきた。イタリア、コルシカ島、次いでポーランド、ポルトガル、スペインの人々がやってきた。最近の四十年間はアフリカ系住民、旧フランス領インドシナの住民が流入した。

フランスは完全な均質化という革命時のジャコバン派の夢を今も抱き続ける多文化国家だ。カトリック教徒は減り続け、イスラム教徒は増加の一途だ。この結果、学校でスカーフを着用するイスラム教徒少女をどうするかという、頭がくらくらする議論が十年間、続いている。

スカーフ着用を、右翼人種差別主義者はフランスらしさへの対決と見なし、古典的左翼はフランス革命が掲げた政教分離への挑戦と受け取る。両者は協力してスカーフを禁止し、均衡を取るため「格別に大きな」十字架などキリスト教とユダヤ教のシンボルも排除した。

今回の暴動で特筆すべきなのは宗教が絡まなかったことだ。暴動は反ユダヤ的言説に結び付かなかった。暴動は偶発的な階級蜂起であり、大方の偶発的な蜂起と同じく長続きしなかった。

しかし多くの反乱と同様、はなはだしい不平等が克服されない限り、再発の可能性は残る。不平等克服に向け、どの国の政府も十分努力しているとはいえない。時代は不平等の緩和ではなく、拡大に向かっている。だからわれわれの時代に、反乱は増えることはあっても減ることはない。

2005年12月16日 共同通信

イマニュエル・ウォーラーステイン

Immanuel Wallerstein, "The French Riots: Rebellion of theUnderclass," Commentary No. 174 (Dec.. 1, 2005). http://fbc.binghamton.edu/174en.htm