評論 第206回 2007年4月1日

次はアフガン敗戦か
おぼつかない秩序回復

イラクでの米国の敗戦は周知の事実であり、米国政界は今、大失策のつけを選挙でどちらに回すかをめぐる共和・民主両党の駆け引きで大わらわだ。

次に来るのはアフガニスタンでの敗戦なのか。米国はソ連と同様にアフガンで敗北するというアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディンの予言は正しいのだろうか。

2001年9月11日の米中枢同時テロの後、米英は、アフガンのタリバン政権がアルカイダ指導部をかくまい、訓練キャンプを提供しているとして、10月7日に軍事攻撃を開始した。

タリバンはアルカイダをかくまっているばかりではなく、厳格なイスラム慣習法を施行し、女性から勤労と教育の機会を奪い、外出時に男性の同伴とブルカと呼ばれる布で顔を隠すことを強制するなど、恐るべき強権体制の見本だった。だから、パキスタンをほぼ唯一の例外として、ロシアやイランを含む全世界が当初は侵攻を称賛した。

各国のこうした反応は予想どおりだった。ロシアはかねて反タリバン組織である北部同盟を支援し、イランも自分たちと民族的つながりの強い別の反タリバン勢力を支援してきた。

一方、タリバンを支援してきたパキスタンにとっては、タリバン政権崩壊はアフガンへの影響力を失うことを意味した。

長い内戦

01年以降の事態を理解するには歴史をさかのぼらなければならない。

アフガンは、19世紀にはロシアと大英帝国の、第二次大戦後は米ソの勢力争いの場だった。1978年、共産主義を掲げる人民民主党がソ連の意向に反して政権を奪取したが、民族対立を原因とした党を二分する内紛が続き、これに巻き込まれたソ連は79年12月に軍事介入した。

ブレジンスキー元米大統領補佐官によれば、米政府はアフガンのベトナム化を期待して、ソ連を軍事介入に引きずり込もうと八方手を尽くした。また、アフガンの共産政権打倒を目指すムジャヒディン[イスラム戦士]に武器を与え、これを訓練した。ビンラディンは米国が訓練したこうした戦士のひとりだった。

かつての共産政権時代が良かったとは言わないにしても、少なくとも当時のアフガン政権には宗教色がなく、女性に大幅な権利を認めていた。

ソ連はアフガン侵攻で、多数の人命と多額の資金と国内での支持の喪失という米国がベトナム戦争で味わったのと同じ経験をした。ゴルバチョフ時代に撤退したが、ソ連軍撤退後もアフガン内紛は継続する。長い破壊的な内戦のあげくに、学生グループを中心としたタリバンが、パキスタン軍の支援を得て全土を制圧し、ある種の秩序をもたらした。しかし程なくして、その秩序は万人の好みに合うものではないことが分かった。

またタリバンはバーミヤンの大仏破壊を含む極端なイスラム化の道を突き進み、指導者のオマル師はビンラディンと密接な関係を結んだ。そして01年に米軍が侵攻する。

国際部隊に不安

米軍侵攻後、しばらくは米国の軍事援助と国連の外交的介入で秩序が保たれたが、カルザイ大統領が率いる政府の威光は首都以外の地方には及ばず、パキスタンが黙認する中でタリバンの軍事的反攻が始まり、治安は再び悪化した。

06年、イラク情勢で忙殺される米国の要請を受け、北大西洋条約機構(NATO)が指揮権を持つ国際治安支援部隊がアフガンの治安維持を肩代わりした。

部隊には英・カナダ・オランダ・ノルウェー・フランス・イタリアなどが参加するが、各国の交戦規定がまちまちである上、比較的安全な首都カブールへの展開をこぞって希望するなど、戦闘意欲はおおむね低い。それぞれの本国では、駐留継続の是非について政治論議が起きている。

タリバンが舞い戻り、国際部隊がいつまで生き残れるかはおぼつかない。非宗教的改革派すなわち共産主義者の復活はありそうもない。自分たちの価値観を世界に広めようとする西欧が、アフガンの地で何事かを達成したと、こんな状況で本当に言えるのだろうか。

2007年5月4日 共同通信配信

イマニュエル・ウォーラーステイン

Immanuel Wallerstein, "Is Afghanistan Next?" Commentary No. 206 (April 1, 2007). http://fbc.binghamton.edu/206en.htm

編集/安濃一樹

[ ]は訳文の補助語句。
( )は英文略称名。